2010年5月26日 (水)

青山 高徳寺

青山の高徳寺は神宮球場に向かう道近くにある。
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ここが勝負事に御利益があると言われるのは河内山宗俊の碑がある故である。Dscn0455
河内山宗俊は江戸の化政期に実在した人物らしく、坊主だが博徒を集めて賭場をしきったり武家を強請るなど、ヤクザの親分格のような存在であった。彼は結局牢死したのだが後世になって権力と闘ったダークヒーロー的イメージを庶民が抱くようになった。伝説化したわけだ。明治期にはいり河竹黙阿弥がその物語を脚本化し歌舞伎として上演したところ人気を博しそのダークヒーロー像が定着した。河内山宗俊の勝負師的な親分性と、その歌舞伎や講談が大当たりしたことが開運の御利益があるといわれる由縁であろう。事実その碑の寄進者には歌舞伎役者や講談師の名があった。
東京のど真ん中には意外と墓地が多いのだ。Dscn0457_2

ちなみにBIGの結果は14戦中9試合的中。前回よりひとつ上がった。

それにしても現在の開運ブームはどうしたのだろう?
この時期一斉に主だった雑誌が開運や御利益のある神社仏閣、名跡を特集している。例えばPenやおとなのOFF、男の隠れ家、Discover Japanなど。テレビのバラエティ番組でも開運特集がオンエアされていた。
自分が開運寺社巡りを始めようと思ったのはこれらのメディアが取り上げる前であり決して雑誌に影響を受けてではない。しかし寺社巡りをしようと思ったとたんにこの特集ラッシュとは?同時代性というやつか。同じ時代に同じ空気を吸っていると同じ流行に乗るのだろうか?自分はあくまでプレゼンに負けたことが寺社巡りのきっかけであり決してメディアの影響を受けたわけではない。なのにまるで自分の趣味に合わせたかのような開運特集ラッシュ。自分が流行を先取りしていたなどと不遜なことをいうつもりはないが、しかしこのピタリとシンクロした奇妙な感じ。実は自分は知らないあいだに時代の雰囲気に侵されていたのだろうか?

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2010年5月12日 (水)

ああ、日本代表

ダメだと思っても期待してしまう。期待でもない、夢だ。模擬試験で合格ラインに一度も達したことがないのに本番の試験で合格するわけがない。いやこれは入試ではない、サッカーだ。入試なら半年で飛躍的に伸びたりすることもあるがサッカーでそれはない。でもダメだダメだと思いながらも心の底では奇跡の勝利を願っている。
 今回の代表はずいぶんもっさりしたプレーヤーを選んだという印象だ。つまりボールキープはうまいが足の速いやつがいない、遅攻タイプ。同じような選手が並んでいる。先発は恐らくGK楢崎、DF闘莉王、中澤、長友、内田、MF長谷部、遠藤、俊輔、松井、本田、FW岡崎。交代枠は1試合3人。岩政がセンターバックの控えはわかるとして、今野と阿部はかぶるのではないか。二人ともセンターバックはできるが背が小さい。ボランチもできるユーティリティープレーヤーというところも同じ。今野はサイドができる(でも出来るという程度だ。W杯レベルではない)。阿部にはフリーキックがある(しかしフリーキッカーには俊輔も本田もいる)。どちらかひとりで良かった気がする。大久保はFWもできるし2列目もできる。しかし彼の時代遅れのマリーシアが日本を窮地に追い込むような気がしてならない。頭に血が上りやすいタイプなのでカードをもらうことが多い。また田舎くさいシミュレーションをよくやるところも心配だ。一発退場の危険性が高い選手である。で、矢野かあ。彼が出場するとき日本はどのような状況に陥っているのだろうか。一か八かの無茶なパワープレーの時なのか(オランダやデンマーク相手にパワープレーは通用しない)、前線からの追い回し役として1点リードで逃げ切る時なのか。玉田もなあ。彼は2回もW杯に出場できるFWなのだろうか。前回に続いて2点目を上げられるFWなのだろうか。
 23人がそろって活躍するなどということはない。本当に必要なのは先発プラス5,6人ではないか。そういう意味では川口の選抜は良かったと思うし、ぜひカズを選んで欲しかった。サポートメンバーとしてでも彼を連れて行くことを願う。

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2010年4月23日 (金)

鶴岡八幡宮

競合に負けたことがそもそもの発端だ。
この9年間無敗だったらしい。
なのに自分が加わった回に限って負けた。
俺には運がないのか。
ひきが強くなりたい。
勝ち運に恵まれたい。
あわよくば宝くじにもあたりたい。それが動機である。
これから毎週一カ所、勝負運が強くなると評判の神社やお寺を
お参りしていこうと思う。で、そのたびに宝くじを買うか、競馬パチンコなどの賭け事をやるか、あるいは競合が控えていたらそれを託す。はたして
どの寺社が自分にとって御利益があるのか。まずは関東100社参りが目標だ。

その手始めとして訪れたのは鶴岡八幡宮である。
自分の住む湘南方面では最も有名な神社であるからここを一番に訪れねばなるまい。

4月半ば平日、ゆるやかな陽がそそぐ平日に訪れる。修学旅行生や外人旅行客が予想通り多い。Dscn0425_2自分も中三の時にここを訪れた。記憶はあるが当時なんの感慨も湧かなかった。今も大してあるわけではない。運を強くしたいという浅ましい願望がある分だけたちが悪いとも思う。
 ご祈祷所が石段下にあって5千円で特別に祈ってくれるのだが、お布施は千円と決めているので今回は見送る。次回大きなプレゼンを控えたときにはお願いしてみよう。賽銭箱まで距離がある。投げた千円札が風で飛んであららなんて拾いにいったらみっともないので硬貨に変えようとも思ったがやはり当初の予定どおり千円札にする。賽銭箱の最前までいって丁寧になかに落とし込んだ。
 鶴岡八幡宮は、さすが名所だけあって歩いていて気持ちがいい。すーっと心が浄化される気がするのだ。家から30分程度のところにこんないいパワースポットがあったのだ。これだけでも来た甲斐があった。有名すぎて敬遠していたがこれからは定期的に訪れようと思う。ちなみに源頼朝が祀られていると思っていたらそうではなくて頼朝が出陣の際にお参りした八幡宮を由比ヶ浜に分祀したのがそもそもの始まりらしい。頼朝をお祀りしている白旗神社というのが八幡宮境内に別にあるので次回行ってみよう。
すっかり鶴岡八幡宮が気に入ってしまった。
先日の嵐で倒れた大銀杏。みな復活を願っている。
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小津安二郎の「晩春」のアングルはこんなだったか。杉村春子が階段を駆け上がっていったっけ。
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さて宝くじの結果だが。BIGを買った。14組中8試合的中。BIGはなかなか面白い。こちらもはまりそう。

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2010年4月15日 (木)

複眼の映像 私と黒澤明 著・橋本忍

脚本家である橋本忍が黒澤明との思い出を彼との脚本共作過程を通じて語る。橋本曰く、複数の脚本家が本(シナリオ)に関わることによってその本の持つ欠点があぶり出され、キャラクターも深くなり筋のよい本が出来上がる。複眼とはまさに複数のシナリオライターによる眼で見ることである。彼は現在の邦画界はあまりに共同脚本が少ない、もっと共作を増やすべきと主張する。ただし、同時に共同執筆による弊害も彼は指摘している。より上質で筋の通るいいシナリオにはなるが、決して大傑作は共作からは生まれないと言うのである。

橋本は伊丹万作を師と仰ぎシナリオを修行しやがて「羅生門」というタイトルとなるシナリオの草稿が黒澤明の眼に止まりここから黒澤との共同作業が始まる(ただ「羅生門」成立の件りは読んでいてやや消化不良の感がある。また杖をつき歯をくいしばりながら黒澤に会いに行くなど表現が悪く言えば大げさでこの先この回想録はどこへ行くのかと不安になった)。
 やがて「生きる」を経て「七人の侍」執筆となる。名作でありその生まれる過程も読んでいてわくわくする。ここでは共同脚本家である、橋本忍、黒澤明、小國英雄の役割がはっきりとわかれていて面白い。伊豆の旅館の一室に三人がこもり、橋本と黒澤(主に橋本だが)が筋を書く、その間小國はただずっと英書を読んでいる。橋本がひとシーン書き終えると回し読みするのだがそこに小國は的確なアドバイスを加える。キャラクターがわかりづらいとか、筋が通っていない、とか。また時には「生きる」の課長のうどんの喰い方を細かく語る、それによって平凡な課長の人となりがぐっと立体化しシナリオ作業への拍車をかける。このチーム編成はうまく機能していた。しかし「生きものの記録」からは小國にも書いてもらうようになった。漕ぎ手は増えたが船頭いなくなり橋本自身はうまく機能していないと感じていた。しかし小國は以後も船頭に戻ることなく自らペンを持ち書き続けたという。
 やがて菊島隆三も参加して4人で書くようになるのだが、各自がそれぞれシーンを分担するのではなく各自がそれぞれ同じシーンを書くのだ。それを黒澤が読み取捨選択していくのだが決して違うモノを貼り付けたような感じがなく絶妙に各自のシナリオが取り込まれたのだそうだ。黒澤は映画は音楽に似ているといっていたが各シナリオを編集していく様は混声合唱を作り上げるようであったと橋本は回想する。
 橋本はその後も「蜘蛛巣城」(なんとかっこいい題名だろう!)「隠し砦の三悪人」「悪い奴ほどよく眠る」と黒澤作品に携わり以後黒澤からは離れる。黒澤作品はやはりしんどいしもう十分ということらしい。橋本自身「七人の侍」から後の作品についての評価は厳しい。悪くはないがそこそこだという。
「影武者」に至っては最後まで見るのがつらい映画、「乱」はあきらかに失敗作と語る。自分や小國のような共同脚本家がもっと欠点を指摘していればこうはならなかったはずだと。しかし「夢」に対しての橋本の評価は高い。これこそは共作ではなく黒澤ひとりでしか書きえなかった映画だという。黒澤の代表作は「七人の侍」と「夢」であると言い切る。橋本は「夢」に黒澤の遺言を見たのか。共同脚本の傑作である「七人の侍」と天才映像作家がひとりで書いた「夢」、異なる二つのアプローチにおける成功作ということか。

 彼の描き出す作品のごとくこの回想録は骨太な筆致で書かれている。一撃して生血を取り出すごとくとか、ペンを持つ手先でなく腕力で書く(これは小國の言葉ではあるが)とか、竹を切り出し杖にして黒澤家を訪問するとか、ひとつひとつがダイナミックである。入院している菊島隆三を見舞うところなど、息も絶え絶えの菊島に向かって国立撮影所計画頓挫の顛末をなじるように語りかける。実際そんなにくどくどと訴えたのか、見舞いの設定を借りて菊島に語りかけたのか定かではないが、そんなこと普通病人に言わねえだろ、と思ってちょっと可笑しい。その強引さに「幻の湖」の失敗要因の一端が見えた気がする。「幻の湖」については橋本自身が失敗作と認め、シナリオに自信がないまま製作に突入してしまったことを悔いている姿勢に好感が持てる。
太い人ですね。

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2010年4月 2日 (金)

ガラパゴス化する日本/吉川尚宏 

完全なビジネス書だった。もっと日本人の国民性や日本人論に言及した本かとおもったら違った。確かめて買えってか。
でもガラパゴスとは言い得て妙ですね。島国であるが故に独自の進化を遂げてしまい国際標準からかけ離れてしまったわけだ。しかも携帯、カーナビのような分野では高度に進化しすぎたことがかえって弊害になっているという。厄介だが日本人ぽい。他国ではそこまでのサービスはいらないからもっと安くて操作が単純なモノがいいというわけです。おまけに日本の若者が海外に興味を失くし渡航者が激減しているらしい。国内引きこもり状態でまさにガラパゴスのイグアナ化していると。でも若者についてのガラパゴス化という定義と、携帯の進化とは違う話だと思うんだけどな。
で、著者はこの総ガラパゴス化を憂えて、解決策、しかも割と即効性のあるものを提示するわけだが、でもそれが出来ないからみんな袋小路にはいって苦しんでんじゃねえかよ、と読んでて思う。
 さらに著者は、日本を製品と国と日本人の3つに分け、それぞれがガラパゴス化したりしなかったりした組み合わせで8種類の近未来のシナリオを提示するのだが、それも、はあ、で?という感じだし。
脱ガラパゴス化の成功例としてトレンドマイクロ社やキュービーネット、立命館大学などの企業が紹介されるが、各分野によって状況がことなるわけでその例をあげられても参考になるのだろうか?ガラパゴス化にはもっと深い根があるんじゃないの?途中に解決策としてゲーム理論が登場するのだが、その解説に15ページ割く意味もよくわからない。ガラパゴス化の問題は日本人の精神性や民族性に問題があると思うのだが、これはビジネス新書だからその洞察を求める方が間違いってもんでした。みなワタベウエディングやソニー・エリクソンを見習おう、ってか。タイトルは魅力的なんだけどなあ、うーん。

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2010年3月18日 (木)

左腕の誇り 江夏豊自伝

自分が一番プロ野球に熱中していたのは昭和48,49年、ジャイアンツのV9前後の時期だ。小学校4、5年生の頃である。当時既にV9戦士には徐々に衰えが見え始めていた。特にミスター・ジャイアンツ長嶋茂雄には全盛期の見る影もなかった。それでもV9戦士たちは積み重ねた自信と経験でしぶとく試合をもぎ取っていた。
 そんな彼らの前に圧倒的な力で立ちふさがったのが阪神タイガースの江夏である。絶対エースとは彼のためにある言葉であった。江夏が出てきたら打てない、その試合はほぼ阪神のもの。巨人ファンはたまたま巡りくる江夏の不調という奇跡を期待して試合を見るしかなかった。

 この本は自伝とあるが当然江夏が書いているわけではない。彼の語り下ろしとその執筆者による江夏の経歴という二つの流れで構成されている。トレードの背景や監督殴打事件の真相など実際に江夏の口から語られているのは興味深いとはいえ、これまでも何度か記事にされたきたことであり驚きに値するような新事実はこの本には実はそれほどない。それよりも読み進んでいくと当時の熱狂が脳裏に甦ってくる懐かしさだ。ローテーションや投手分業制など確立されていなかった時代のプロ野球ではリリーフした投手が翌日先発することなど普通であった。オールスターでの9連続奪三振、近鉄との日本シリーズ、自身のサヨナラホームランによるノーヒットノーラン勝利など数々の名場面は今でもプロ野球ファンの語りぐさである。

 江夏は他人の言動に対してあまりにナイーブなまでに反応する。許す、ということが出来ないのだ。その軋轢は、金田正泰氏、野村克也、古葉竹識、などやはり当時の監督との間におこった。
江夏は江夏豊という絶対的な存在に対して周りから優しさと誠実さとを求める。特に年長者から。それはまるで子が父に対してもっと愛して欲しいと訴えているかのようである。父的存在に対して完璧性を求めるのだ。少しでも不実な言動を目にすればそれで彼はもうその存在を許せなくなってしまう。金田がお寺の掃除をさぼったこと、野村が金が遺ったからいいと行ったこと、古葉が江夏のリリーフを用意したこと、広岡が革手袋で握手したこと、彼らにしてみればなんだそんな程度のこと、であったろう。しかしそれが江夏には許せない。彼がもう少し寛容であったなら、受け流すことができたなら、彼のプロ野球人生は違ったものになったろうし、もっと充実した引退後を送れたはずだ。しかしそれができないのが江夏であり、そこに私たちは魅力を感じるのだ。
思ったことを言動にあらわすことなど誰ができるだろう。みな日々我慢を強いられている。彼は自分の筋を通し、そして躓いた。その姿に私(たち)はもうひとりの自分の姿を見る。周囲と合わせて生きていく自分、我を通ししかし転落していく自分。彼の遺した成績よりも、数々の名場面とその生き方によって江夏豊という投手は永遠に私をひきつける。

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2010年2月16日 (火)

国母劇場

バンクーバーオリンピックは
K選手の登場で俄然面白くなった。4年前のトリノで競技前に彼がかなり自信に溢れたコメントを発した割には結果が散々だったことを覚えている。あれは煽ったマスコミも悪かった。アメリカの有力選手が不参加だったにもかかわらず直前のワールド杯で好成績をおさめていたからといってメダル有力候補なんて持ち上げたんだから。でもマスコミなら煽るのが仕事か。今回は全然採り上げられてなかったので消えたんだなと思っていたら出場するんだね。しかも思わぬ形で前回よりも有名になってしまった。
「火事で焼け出された牛」
 公式衣装を着崩した姿は確かに見苦しいものだった。謝罪するほどでもなかったろうがあの格好に対して抗議の電話をする人はいるだろう。彼の容姿は単純にイタイなあと思う。しかもどこか失笑を伴わせる。田舎のあんちゃんが思い切り粋がった格好だ。でもそれに輪を掛けてこの騒動の火に油を注いだのがあの「反省してまーす」会見だった。あれではふてくされた田舎モノである。ドレッドヘアーに鼻ピアスは格好悪いよ。誰かが書いていたが「火事で焼け出された牛」だ。さらにイタイと思うのはどうやらあの髪型が彼にとってのオリンピック仕様だったらしいことだ。修学旅行で思い切り粋がった格好をしてみたけれど東京は違ってたみたいな。入学式でモヒカンにして出席したらもう流行は終わっていたみたいな。
 悪いと感じてなければ堂々とそう言えば格好いいのに。日本人記者が日本人選手に対して日本語で質問しているのに答える際にいちいち監督へ“通訳”を求める態度。思わず「おまえ何様だよ」とテレビに向かって突っ込んでしまった。真似してるんだよね、タレントや有名人の。それも表面だけ。怯えているんだとも思う。彼が醸し出す全身田舎モン感は忘れていた自分の若い頃を甦らせる。ああ、恥ずかしい。
メジャーデビュー
もともとスノーボードというものがストリート文化であり反抗的なスポーツ(反骨的ではなく)なのだというのはなんとなくわかる。マイナーなローカル競技なのだ。狭い限られた人口の間で行われている限りは自分たちの流儀と美学の下にやっていれば良かったのだろうがオリンピックという、他の競技も含んだ総合的な世界大会に参加したのだからそれなりの振る舞いをするべきだった。いわゆるメジャーデビューしたのだから。マスコミだって煽るし、普段は関心のない国民だって注目する。それがメジャースポーツのプロ選手であるということ。嫌なら参加しなければ良かったのだから。認めてくれる人たちの中だけで称賛を浴びてもそこに成長はない。残念ながら彼はこれが二度目の参加で前回のトリノでは同競技選手に対して馬鹿にした言動をしたことや選手村の壁を壊したりしている。4年たったんだから成長しろよ。

サッカー日本代表もイタカッタ(2002)
行儀良くしろなんて思わないしスポーツ選手はある程度やんちゃな方が魅力的だ。でも実力が伴わずただ見かけだけキメていたら恥ずかしい。2002年のサッカー日本代表がそうだった。彼らにとって世界デビューの舞台で多くの選手が自らの髪型に気をつかっていた。外国雑誌に日本の選手の髪型が特集記事になったくらいである。プレーぶりはおいといて。ロッカールームで試合前に彼らは鏡をみながらワックスを塗った手で丁寧に髪の毛をねじっていたのかと想像すると俺はイタイと思う。あのワールドカップは奇抜な髪型をした選手が多くて今思うと変な大会だった。大五郎カットのロナウドとか。ベッカムの影響だろうか。そういえばあの頃某代表選手はイタリアから帰ってくるたびに成田に降りる直前に機内でキメキメに着替えてから登場していたが、あれだって今の彼にしてみれば赤面ものでしょう。

情けない大人たち
それにしても監督、コーチは何をしていたんだろう。何もしていなかったんだろうな。誰も見ないようなローカル大会ではなくてオリンピックなのだからマスコミ対応についても選手にアドバイスするべきだった。選手にくっついて飛行機に乗ってバンクーバー見物に来たわけじゃないんだから。彼らに対してなにも言えないのだろうか、それも想像できる。暴れん坊タレントとそれにくっつくマネージャーみたいなものか。選手を温かく見守って欲しい、というコメントは甘えてますね。最初の記者会見で監督は自らのことをしっかり断罪するべきだった。「態度まで指導できなかった私が悪いんです、切腹します、こいつらロクでもないんです、でも飛ぶとすごいんです」ぐらい言えばK選手も救われたろうに、二度も彼に会見させそれには橋本団長のみ出席でその後の監督、コーチのコメントなしじゃあ、あんまりだ。日本でだけ優秀な選手とそれに付着するだけの監督、コーチ、だったら意味ないね。母校の監督がK選手を擁護する発言をしていたがこの人が監督の方がむしろ良かったのではないか。恐らくこういった人事というのは連盟内の派閥が左右しているんでしょうけど。

結果出せ
彼にとってオリンピックは一つの大会にすぎないと言ってるけど嘘だ。だったらこれだけ屈辱を浴びた中でとどまる必要はない。さっさと帰国すればいい。
あれだけ髪の毛をキメて臨んだ大会なのだ、意気込みが違うだろう。素直に大会の重要性を認めた方が潔いってもんだ。だってオリンピックだもん。全世界が注目する中でショーン・ホワイトくんと同じ土俵に立つんだよ。猪苗代大会とは違うでしょ(猪苗代大会があるか知らんが)。
普段見ない奴も見る大会なのだ。スノーボードというスポーツをメジャーにするチャンスだ。もし彼が日本の第一人者なのだとしたら彼にはその使命がある。
ナンバー1とはそういうものだ。

実力が伴ったワルはかっこいいけど弱いのに粋がってるのはダサイ。結果出せ。
それだけ。

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2010年2月15日 (月)

「アメリカ帝国の衰亡After America」ポール・スタビロン

21世紀に入ってアメリカの覇権は終焉を迎えようとしているのか。
ジャーナリストである著者は、まずいかにしてアメリカが世界の覇者となったかの経緯を説明する。第一次世界大戦後のヨーロッパの疲弊によって世界のリーダーシップの地位が英仏からのアメリカ合衆国へ移ったのだと。
その後は第二次大戦そして冷戦がアメリカの覇権をゆるぎないものにした。
振り返れば1990年のソ連邦崩壊がアメリカ覇権のピークであった。冷戦が終結し資本主義を取り入れたロシアは親アメリカ国家として益々アメリカ覇権の地盤を強固にするはずであったし事実ロシア国民の感情はアメリカ好きに傾きつつあった。しかし経済の失敗による市場主義経済への失望などを経てロシアはプーチンによる独自の資本主義の道を歩む。それはまるで革命前の帝国時代を懐かしむようなロシア主義である。ロシアは欧米とは対抗する道を歩んでいる。
アメリカに代わる国はどこになるのか。第一候補は中国であろう。中国は南米各国に経済支援の手をさしのべるなどして、着実に資源確保に向けて手を打っている。ヨーロッパへの影響力も大きい。中国が強大化することに警戒感を募らせるのはアメリカであり日本である。将来日本と中国との間に軍事的衝突があるかもしれないと著者が予測しているのは興味深い。いずれにしてもこの先何十年かはアジアの時代となる。
アメリカの覇権が終わるとは言っても没落するわけではないのだ、世界の警察の役割から解放されリーダーシップを取る必要もなくなるのだと、著者はアメリカ国民に向けて説いていく。
またこれからはニューヨーク、ロサンゼルス、ロンドン、など国の枠を越えた都市自体が独自の存在価値をもつ都市国家の時代になるかもしれないと著者は予想する。著者はナショナリズムを捨てコスモポリタニズムを受け入れられる都市が今後は発展していくと予想している。それには必ずしも同意しかねるところだが、都市国家という概念は面白い。古代ギリシャ時代にアテネやスパルタが隆盛を誇ったように世界各地の都市が突出していくのだろうか。となると国という概念はどうなっていくのか。都市国家が集まって世界政府が成立するかもしれないし、宗教や主義が乱立するゲリラ的な時代になるような気もする。
さらにイスラム国家や、イスラム各派の組織はまだまだ続くし彼らが寛容的な態度で西欧の資本主義文明を容認するとは思えない。世界は再びカオスの時代に突入したのであろうか。

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2009年12月15日 (火)

メディアとプロパガンダ ノーム・チョムスキー著

自分の最近の関心事はナショナリズムとグローバリズムであるし、
ニューヨークにも行くし、まずはこのひとの目線を学ばねばあかんなと呼んでみた。面白かったのは序文まで。
主に90年代初頭の湾岸戦争やニカラグア紛争についてのアメリカのメディアによる報道への批判である。こういうのはリアルタイムでないと、ふむふむなるほど、とは読めないものだ。その元となる記事に対して自分がどう感じたのか、チョムスキーに賛同できるのか否かという関心を持って初めてカウンター批評というものは面白いのであって、それがないのに読んでもさっぱり頭に入らんよ。
 本の薄さもあってチョムスキー入門にはいいと思ったのだが失敗。

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2009年11月16日 (月)

「日本語が亡びるときー英語の世紀の中で」水村美苗

冒頭はアイオワ大学の作家ワークショップに招かれた話。世界中の(ほぼ非英語圏の)作家との交流を軽いエッセー風に読ませてやさしく導入していく。世界には様々な言語で小説や詩が書かれていることを著者はその交流の中で再認識する。さらに自分の民族の言葉で書いていない作家がいかに多く存在するか。
言語は強力な文学を背景に持つことで存在が確立される。日本文学は<世界の主要な文学>であることを他の国の作家から指摘されて著者はあらためてそれを自覚することになる。たしかに<世界の主要な文学>は言語の種類ほど多くはない。日本文学はその歴史においても源氏物語以来暗黒時代というものがなかったらしい。それほど各時代に文学が途切れることなく連綿と紡がれてきた。たしかに。言われてみればそうかもしれない。日本文学は明治期二葉亭四迷、夏目漱石以後と我々は思いがちだが世界の認識はそうではなかった。その言語が優れているかそうでないかは、それは主要な文学(国民文学)があるかどうか、にかかっている。

 日本は<読み言葉>と<書き言葉>が共存しているが地域によっては<書き言葉>が存在していない国もある。たしかにそうかもしれない。しかも文字でいえば英語圏およびスペイン語、ドイツ語、イタリア語、デンマーク語など西洋諸国はすべてアルファベットで表記される。アジアでも独自の文字を持つのは中国、韓国、日本にタイぐらいか(漢字は輸入だがその使い方はオリジナルだしカタカナ、ひらがながある)。モンゴルにもあるらしい。それにアラビア文字、ロシア文字とか。国によっては国民意識の高まりによって無理矢理<書き言葉>を復活させたりあるいは新たに創りだした国もある(イスラエルとかね)。それにしても民族がすべて独自の国を持つわけではなく、その国においても国語、現地語、地域語、複数の公用語、と様々な言葉を持つ。単一言語しかない日本はなんと恵まれた(?)国であろうか。

で、英語である。世界で普遍語といえば英語である。どんなに立派な思想書や論文を発表してもそれが日本語のままならばそれは単なる一地域のものでしかないが、
それが英語で書かれていれば世界的になる(とはいえ日本語で書かれていても優れたものなら英語に翻訳されると思うが)。英語の他の言語に対する圧倒的な優位性。しかもその優位性に対して英語母語者は無自覚である(そりゃそうだろう、自分がいかに恵まれてるかなんて落ちた境遇になってみないとわからない)。英語以外の言語がその存続を危ぶまれている。しかもインターネットの普及がそれに益々拍車をかける。グローバル化が進んだ現在英語を学んでいれば事足りる状況であるのだから。

この時代になぜ日本語を学ぶのか。著者は現代において優れた日本文学がないということが存続危機の理由のひとつであるという、きわめて文学者的な分析をする。優れた文学がないから誰も日本語に関心をもたない。海外からももたれない(でもさ、確かに100年、200年後に残る本なんて自分が生まれてからこれまでで2,3冊だろうけど、そんなもんじゃないか。それよりも言葉は様々な形になって残るのではないか。ケータイ文学だってもしかしたら新しい文学の形かもしれないではないか)。

日本語を存続させるために英語エリートを作り出すべきという論旨がよくわからなかったし、日本(語)を国際化するために国語教育をもっと充実させるべき、というのもわかったようなわからないような。それが単純に授業時間を増やせばいいことでもないと思うし。最後の2章は語らなくても、と思ったりして(加藤典洋氏もそう書いていた)。言語は文化であるし日本の文化が水準を保っていれば日本語は亡びないのではなかろうか。

ふらんすへ行きたしと思へども
ふらんすはあまりに遠し
せめて新しき背広を着て
きままなる旅にいでてみた

(萩原朔太郎)

この「ふらんす」がさ「仏蘭西」でも「フランス」でもなく「ふらんす」でしかこの詩のニュアンスは伝わらない、だから翻訳不可能であるしそこに日本語の独自性がある、ということはわかる。「ふらんす」だからこそ明治の時代人の浪漫へのあこがれが感じられる。でもさ、敢えていうなら、結局それだけの内容なのではないか。英語にそのニュアンスは訳せない。文字のニュアンスにそもそも萩原朔太郎は頼ろうとしたのか?だからさ、結局翻訳文学(たがいの)を読む意味があるのだろうか、原書は原書で読まざるを得ないのではないか、という自分のいつも疑問に立ち返ってしまう。もちろんヘミングウエイとかさ
フィッツジェラルドなら原書で読もうとも思うけどドストエフスキは無理だ。内容もさることながら今更ロシア語を学ぼうとは思わない。

副題が「英語の世紀の中で」とあったので自分はてっきり英語翻訳によって日本語が変化していることを憂えた本かと最初思いました。とにかく翻訳文は読みにくいし、「〜という印象を引き起こした」のようなそんな日本語の使い方しないだろう直訳すればそうなるだろうけどという表現が跋扈しているので。
でもそうではなくもっと深く真に日本語が亡びることを憂えている内容でした。
面白かったですよ。著者が採り上げていたベネディクト・アンダーソンの「想像の共同体」、それに
夏目漱石、谷崎潤一郎、はあらためて読んでみようと思います。

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