2009年7月10日 (金)

幻影の書 ポール・オースター

妻と二人の子供を飛行機事故で失うという悲しみに襲われた大学教授デイヴィッド・ジンマー。
ある夜テレビでサイレント・ムービーを見ているうちに事故以来初めて笑ったことに気づく。それはヘクター・マンという1920年代後半にサイレントコメディ映画分野でほんの一瞬だけ活躍した俳優兼監督によるものであった。それから憑かれたようにデヴィッドはヘクター・マンを調べ始める。ヘクターは12本の映画を遺してある時忽然と姿を消した。映画史においても長く忘れられた存在であった。デヴィッドは現存するヘクター・マンの映画をすべて見るために世界を回りやがて彼に関する本を出版する。
 ある日ヘクターの夫人と名乗る女性から、ヘクターは生きている、一度お目にかかりたい、という手紙がデヴィッドの元へ届く。当初は信じることができず、取り合わなかったデヴィッドであった。しかしアロマという女性の訪問をきっかけに彼女とヘクターに会うために旅に出る。道中アロマから聞かされたのは驚くべきヘクター失踪の真相であった。

ヘクター失踪に関しては当時様々な憶測がなされた。映画製作に行き詰まったのであろうというのがおおかたの見方だった。たしかに彼の資金的後援者であるシーモア・ハントは事業に失敗して自殺した。
しかしヘクターは独自に次回作への準備をすすめていて資金繰りに問題はなかった。
 その頃彼は映画誌記者であるブリジット・オファロンと恋仲になっていた。彼女は当然ヘクターが自分と結婚するものと信じていた。しかしヘクターは新作映画の出演女優ドローレス・セントジョンと恋に落ち、彼女との結婚を選択する。
 ドローレスを殺そうと彼女の部屋を訪ねたブリジットは逆に左目をドローレスに撃ち抜かれ絶命する。ブリジットのお腹の中にはヘクターとの子供がいた。ヘクターは子供を宿したままのブリジットを山中に埋め、映画界は勿論のこと、世間から姿を消す。
 そして現在の地に至るまでの驚くべきアメリカン・ジャーニーの軌跡がさらにアロマから語られる・・・・・
 デヴィッドはヘクターに邂逅する。彼は幻ではなく実在した。いくつかの言葉を交わし、また翌日深く話をしようと辞去したデヴィッドであったかその夜またしても思いがけない事態へと物語は展開していく。

これぞストーリー。大胆で驚くべき展開。にもかかわらず、それが荒唐無稽に感じないのは登場人物たちが作者によって深く造型されているからだ。すべての行動に理由がある。より現実化された不条理劇。
 このような面白い小説が日本の書店に並ぶまでアメリカでの出版から6年もかかっている。ああ!

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2009年5月31日 (日)

グラン・トリノ

3b82653b481265e0a81a76616f500c7f、有楽町で観る。公開から1ヶ月が立つが平日にもかかわらず客席は5割以上埋まっている。中年以上の観客が目立つ。口コミの影響だろう。いい映画はたとえ宣伝費を掛けなくても人がはいる(もちろんこの映画は通常並に宣伝量をかけただろうが)。

すばらしい。
今でもこの映画のシーンを思い浮かべると涙があふれてくる。

脚本がよくできている。完璧だ。
頑固一徹な老人が近所に引っ越してきた移民と交流していく中で徐々に彼らと心が通じ始める。
移民の少年は老人から男としてのあり方を学び、老人にとっては少年を訓練することによって再び自分の人生に活力が戻ってくる。老人は少年にとって父であり師でありヒーローであった。

少年を大人へと成長させるその訓練はまるでロバート・B・パーカーの「初秋」や映画「カラテ・キッド」を彷彿させる。しかしそこはクリント・イーストウッドである。ハートウオーミングでは終わらない。彼には怒りと暴力と血がつきまとう。しかしそれだからこそ物語はリアルなのだ。
 とにかく脚本は教科書のようにすばらしい。たいがいそのようなホンは出来すぎでかえって臭い映画になってしまうものだが、クリント・イーストウッドであるが故に気にならない。ダイアローグもいい。まるで落語である。人情話と言えなくもない。でもそれだけでは終わらない、お手本のような脚本。
有名俳優はクリント・イーストウッド以外いない。しかも主要キャストは米国社会に住む少数民族。それでも話が面白ければ、お客は映画を観に来る。

 ウォルト老人は妻を亡くし一人で暮らしている。独立していった子供たちとは心は通わない。口から出ることばは怒りか皮肉。若いときに朝鮮戦争で朝鮮人を殺した記憶が頭から離れない。
 近隣はスラム化が進み裕福な白人たちは街を出て行った。代わりに移住してきたのが低所得者だが最近勢力を伸ばしているアジア人たちである。気がつくと周りはアジア人だらけとなっている。苦々しい思いのするウォルト。
 ある晩、隣のタオ少年が不良グループからの命令で彼の大事にしている名車グラン・トリノを盗もうとして見つかってしまう。失敗したタオを不良たちは再び無理矢理グループに入れようとする。彼らを銃で脅し追い払うウォルト。ウォルトは近隣のアジア人から感謝される。
タオ少年は窃盗の償いと不良を撃退してくれた謝意としてウォルトの手伝いを
始める。当初は拒否したウォルトだがやがて少年の面倒を見始める。ウォルトとモン族の一家に温かな交流が生まれる。しかし一方で不良たちはおとなしくなったわけではなかった。彼らとの抗争に決着をつけるためにウォルトが取った選択とは・・・。

 この映画には様々な人種が登場する。アジアの少数民族モンを始め、主人公ウォルトはポーランド系アメリカ人であり、なじみの床屋はイタリア系、建設現場の監督はアイリッシュそして黒人、ラティーノ、・・・米国は白人と黒人だけの国ではないことが浮き彫りにされる。
主人公の心の傷、信ずるところ、それらがすべてラストへと集約されていく。
早くも今年ベスト5には入る一本。私はまったく主人公ウォルトに共感してしまったのだ。まるで自分の将来の姿(ヒーローではなく孤独な老人として)を見るようだ。だからこそ彼のような見事な生き様を送りたいと思う。
 この映画は米国の現実を生と死という普遍性の中で表現した見事な作品である。

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2009年5月27日 (水)

翔ぶが如く(八)

刺客事件をきっかけにようやく西郷隆盛は起ち上がりここに後に西南戦争として語られる、薩摩士族軍と太政官政府(鎮台)軍との九州における内戦が始まる。
 西郷が重い腰をあげた理由は、自身への刺客問題への憤りなのか、桐野利秋、篠原国幹ら不平士族たちの鬱積する憤懣を抑えることができず半ばあきらめの境地から起ったのか、その真意はわからない。最後まで口を開かない西郷である。
 しかしながら事態収拾のために自身の命を捧げることを覚悟したであろうことは彼の行動の節々に伺える。ただ不思議なのは、明治維新、幕府瓦解という革命に対してみせた情熱と政略に比べてあきらかに今回の西郷は別人のように無為無策なのだ。
 西郷が決起した報せに大久保利通は大いに動揺した。なかなかその報告を信じようとしなかった。大久保は西郷を恐れていた。かつ明治維新を成し遂げた同士として西郷の友情を信じていた様子もうかがえる。あくまで冷淡に対処するのは警視庁長官である川路利良である。彼は上士から侮蔑される郷士出身であったからなのか、まるで私戦のように同郷の薩摩士族への対抗策を冷徹に進める。

 司馬遼太郎の小説の中でも話が長く退屈な小説である。明治胎動期の近代国家成立過程を描くにおいてドラマ性を排除し極力記述に徹している。他の小説にみられるような登場人物のヒーロー性、感情の動き、ドラマツルギーがことごとくない。ふたりの主人公のうち大久保はあくまで暗く、西郷隆盛の行動は果てしなく退屈で愚鈍だ。明確な意志が感じられない。
 司馬遼太郎は近代国家(明治政府)の成立過程を調べているうちにそこにあの昭和初期、日中戦争に突入する直前の日本政府の原点を見てしまったのではないのか。明治政府の成果があの昭和初期の暴走へとつながった。司馬遼太郎がそこにどうしても美しい日本の姿を見いだすことが出来ず、とうとう書けなかった題材である。
 当然この小説の中でも大久保利通への司馬の評価は厳しい。けっして己の名前で命令を出さず天皇の威を借りて国政を進める姿太平洋戦争当時の首脳部を彷彿させる。
 退屈ななかにもこの八巻にはその後の歴史上の有名な人物が何人か登場する。
のちの日本を軍事的にも政治的にも支配する山縣有朋は軍隊補給担当として抜群の実務能力を発揮する。乃木希典は西南の役においても、軍服を奪われ自身の指揮する隊は潰乱するなどその無能ぶりはこの時点であきらかであった。
 薩軍は西郷を戴いて東上すれば道中うねりのように反政府主義者、不平士族が賛同し政府軍を凌駕するであろうと考えた。戦略はそれしか無く史上珍しく幼稚で無邪気な軍隊であった。しかもその戦略を貫徹すればまだ良かったのだが薩軍には戦略を統率するリーダーはいなかった。野犬の如く局面での勝敗に夢中になってしまう。執拗なまでに熊本城攻略にこだわる。
 政府鎮台軍は元々百姓出身の軍隊であり、日本最強と謳われた薩軍とは個々の兵士の能力では差があった。しかし政府からの兵器、兵力の補給により徐々に勢力を盛り返し始める。
 こんなはずではなかった、桐野の心には焦りが芽生え始めた・・・・

つまらないと思い始めながら読み始めたこの歴史小説もとうとう八巻目まできた。残すはあと二巻。これはもう読み遂げるしかないでしょう。

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2009年4月21日 (火)

「君は永遠にそいつらより若い」 津村記久子

京都の文系私大に通うホリガイは22歳にして処女である。というよりも女の童貞という方が適当だ。頑なに守っているわけではもちろんないが、なんとなく機会がない。故郷での社会福祉主事の採用試験にも合格しあとは卒業までをだらだらと(淡々と)過ごしていく日々。
惹かれるひとはいる。飲み会で知り合った穂峰くんにはその日に惚れて結婚したいと思った。しかし穂峰くんとはそれっきり。会って告白しようと決めた次の日に彼は死んでしまったことを知る。
男友達の彼女を別に親しくもないのに、飲み会の流れで泊めてしまったりする。
その娘と男友達のけんかに巻き込まれたりしてしまう。アルバイト先の部下で下半身に悩みをもつヤスオカからはなぜか慕われてしまう。そして依然として
ポチョムキン(処女の意味らしい)だ。
他人にはなにげない日常にみえるかもしれないが本人はしんどいのだ。
 穂峰くんの死の真相、イノギさんとの出会い、ホリガイ自身の社会福祉主事になる、本当の理由。
平坦に見える日常の陰には様々な真実が存在しそれが思いがけない行動へ彼女を導いていく・・・

まず軽妙な会話に引きつけられる。ゆるやかで(いろいろあれど)楽しそうな学生生活。しかし、
一見芯のない生活を送っているように見える登場人物たちの心の奥底に
流れる葛藤、心の傷、そして正義感。結構タフな人生。
面白い。ケッサク。

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2009年4月 9日 (木)

「地の星 流転の海第二部」 宮本輝

故郷南宇和に帰った松坂熊吾は幼なじみと名乗る増田伊佐男から因縁をふっかけられる。
子供の頃に取った相撲で土俵下に熊吾から投げ飛ばされ以来びっこをひくようになったというのだ。40年たって何を言い出すのだ、この男は。不吉な印象を残して去る伊佐男。
訪問先で熊吾は妹の情夫、政夫が闘牛の勢子(行事のようなもの)を博打の借金の方に引き受けさせられたと聞く。しかも魚茂牛はどう猛なことで有名でこれまで何人もの勢子の命を殺めてきたという。政夫の身を案じて角突きの場に駆けつけると中田牛側には増田伊佐男がついている。裏があると感じた熊吾は魚茂牛のオーナー、茂十に闘牛をやめることを提案し、咄嗟の機転で牛を撃ち殺す。
 この事件を機に熊吾と和田茂十は親交を深める。茂十は県会議員選挙に出馬するという。妾腹の子ながら茂十の篤い情と人物の懐の大きさに感銘した熊吾は選挙参謀として協力を申し出る。
 そんな中、大阪時代に熊吾を裏切った井草の消息がわかる。結核を患い金沢で死にかけているという。しかもかつての熊吾の盟友、周栄文の恋人節子を愛人にしていたという。迷いながらも会いに行く熊吾。井草から謝っても済まないことはわかっている、ただ房江を殴るときの熊吾だけは嫌いだった、と告げられる。胸をつかれた熊吾はその夜妻の房江に長距離電話をかけ、おまえのことはもう殴らない、好きだと告げる。節子の娘麻衣子は妻ある男と不倫の関係にあった。金沢の料理屋の次男である秀之から、自分が愛する女は麻衣子だけであり妻には指一本触れていない、麻衣子の腹違いの兄が妻となる女の兄を刺したのでそれを穏便にすます条件で結婚を受け入れたのだと告げられる。ゆくゆくは秀之と麻衣子の破局を予想しながらふたりの京都での新たな生活の段取りを助ける熊吾。
 宇和島に帰った熊吾は伊佐男の父が以前泥棒に入ったときに警官の猪吉によって逮捕されたことを恨みに思いその復讐を遂げるために御荘の家に潜んでいるということを近郷の者からきき親子二代の陰湿で凶悪な執念深さに戦慄を覚える。熊吾は思う。蛇とならざるをえないものは蛇を親として意外に生まれてこざるをえない。子は親を選べないのではなく子は親を選んでうまれてくるのだ、と。しかもその伊佐男親子の手伝いを妹タネの情夫、政夫がしているという。政夫に問いただす熊吾。そこで熊吾は政夫から、おじさん(熊吾)はいつも自分をばかあつかいする、みんなの前で叱りこづく。そんなおじさんがかなわないながらも嫌でありいつかこんな俺でも見かえしてやると思っていた、それができるのは伊佐男である、だから自分は伊佐男についたのだ、と。
思わぬ政夫の言葉に素直に頭をたれる熊吾であった。
 ある日茂十の応援演説会で、房江と茂十ができているという噂を熊吾は耳にする。逆上し応援を放り出して家に帰り房江を顔がかわるほど殴りつける。冷静に調べれば全くのガセネタであることはわかったはずなのに。一時は別れを本気で思った房江であったが熊吾の深い愛情ゆえかいつしか怒りもおさまっていく。
 伊佐男との因縁に決着をつけた熊吾は、四十を過ぎても美しい妻房江と晩年の子伸仁をつれて、再び事業をおこすために大阪に向かったのである。

戦後日本の復興を時代背景に一人の超人的な精神力をもつ快男爺松坂熊吾の生涯をえがく大河小説の第二弾。
 面白いのだ。登場人物像が多彩でみな感情が豊かである。主人公熊吾は時に破壊的で専制君主のような暴君ぶりを発揮するが、愛情が豊かで正義感がある。
ストーリーも冒頭の牛殺しから始まるところなどはハリウッド映画を思わせるような導入で一気に読むものを引き込んでいく。そして伊佐男との決着までが起伏あり逆転ありで物語の面白さを最後まで堪能できる。

宮本輝の小説はもっと熱狂的な支持を受けてもいいはずだが、どことなく地味な印象をうけるのは格調の高さか、装幀のせいか。
 いずれにせよ傑作。読むべし。

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2009年1月16日 (金)

ダークナイトのすごさ


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映画の冒頭から映像がキレイだなとは思ったのだ。ビルの屋上シーンもなぜか他の映画よりも恐怖を感じたのだ。IMAXだったとは。普通ストーリー映画をIMAXで撮ろうなんて思わないよ。でもその圧倒的映像体験を観客が堪能することを信じて推し進めたクリストファー・ノーランの監督力はたいしたもんだ。
それを支持したプロデューサーたちも度胸がある(恐らく当初は反対しただろうけどね)。普通はですねパニックものアクションものは特殊効果にお金をかけてカメラ機材まで気もお金もまわらない。すぐHD撮影を選択してしまう。しかし高画質の映像というのも実は特殊効果の重要な要素だったんだな、とこのメイキングを見て参考になった。
製作費は1億8000万ドル、ざっくり換算して180億円あるとはいえねえ、見事に予算を使いこなしたのではないか。

クリストファー・ノーランはCGを多用しない。実写の方が圧倒的に観客に訴える力があると確信している。
確かにそうなのだ。しかし現在の映画製作においては予算的にも爆破や巨大建造物、群衆など特撮が困難なものはすぐにCG制作を選択しがちである。予算を抑えて映像化可能とするCGは確かに近年の映像製作においては不可欠な要素だがやはり実写にはかなわない。クリストファー・ノーランがイギリス人ということもその実写志向に関係しているような気がする。意外にイギリス人は物作りが得意である。ミニチュアなどつくらせると上手いもんだ。ロータスやMBなどバックヤードビルダーの伝統があるのかもしれないな。

そしてスタッフワークのすばらしさ。
市街地でのカーチェイスや爆破は入念なテストと複数のスタッフとの正確な連携がなければ成功しない。そして絶対に失敗しないためのシミュレーションが必要とされる。
万が一事故が起きれば二度と撮影に貸してくれなくなるからだ。一つのチームが起こした不祥事はどんどんロケの選択肢を狭めていってしまう。
しかしトレーラーを横じゃなくて縦に倒してしまうんだからね。横転じゃなくて縦転なんである。
これをやり遂げてしまうスタッフのオペレーション能力は非常に高い。
日本人スタッフはここまでの大規模撮影など慣れてないから多分無理だ(もともと日本人の特質として大きく拡げるよりも小さく、けど細やかなものが得意である。脱線するがこの辺の話は「縮み志向の日本人」を読むと納得できる)。

ヒース・レジャーのジョーカーは確かに素晴らしかった。しかし彼を映し出すIMAXの映像と、彼を活かす画像を創造したクリストファー・ノーランが彼の演技をより際だたせ、彼が受ける評価に貢献している。役者を生かすも殺すも結局監督次第。演出、撮影、美術、演技、その他もろもろのスタッフワークがからみあって画面にその結果が映し出される。だから映画作りはやめられない。

クリストファー・ノーラン監督で「ブレード・ランナー」をリメイクしてくれないだろうか。ものすごく見たい。

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2009年1月15日 (木)

自由が丘「金田」

今年初の「金田」。生ビール一杯、瓶ビール1本、お銚子2本、アオリイカの造り、白子焼き(これが旨かった!)に定番肉豆腐で占めて4000円とちょっと。今日は客が若干少なめだったか、といっても満席ではなかったという程度でしたが。タイミングが合わなくて2階を案内された2人連れのお客さんもいたし(「金田」の1階で飲めるのは基本的に2人連れまでです)。近頃1階は中年の男女カップルをよく見かける。いいデートスポットなのだろうか。落ち着くし、うまいし。自分は「金田」に行くのは基本的にひとり。ここでゆっくり酒を飲みながら沈思黙考するのです。たまに知り合いに会うのが楽しい。
そういえば最近Uさんにお会いしてないなあ。

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2009年1月12日 (月)

鈴本演芸場 初席

金曜は上野の鈴本へ。トリは小三治だしその前に権太楼が出るし、これは行かねばと6時前には寄席に入りました。出演者をみると市馬、三三、扇遊、雲助、とトリを務めるような噺家が並んでいてこれは期待できるとワクワクしつつそれにしては演者が多すぎるのでは、とやな予感がしたら的中。ひとりひとりの演目が短かった。これじゃ正月顔見世興行じゃねえか、と思ったらそのようにプログラムにかいてありました。でもさすがにオールスター興行だけに短いけどどの人も面白かった。寄席のいいのは自分のひいきの噺家目当てに行くんだけどそれ以外の思いもかけない好みの落語家を発見する楽しみだね。コンピレーションアルバムみたいなもんです。三三を聞くのは初めてだったが評判に違わず面白い。勢いと若さゆえのやんちゃがあっていいです。H家を茶化してました。あそこはきょうでいそろって日本語があやしい、だって。でもほとんどまくらであっという間に終わった。三三の他には、はん治が面白かったですね。独特の語り口です。
 権太楼師匠は飛鳥号(別名;ジャンバラヤ?)の話、これを聞くのは3回目です。今までは枕だったんだけど今回はこの話で終わってしまいました。ちょっぴり残念。トリの小三治師匠のあの間は狙いなんでしょうね。ちょっとハラハラしました。
 いずれにしてもオールスター興行なのでひとつひとつの話が食い足りませんでした。小三治だし立ち見になると思って早めに行ったんだけど結局ほぼ満席という状態でした。わかってる人は行かないんだね。正月ということで賑やかにしたいのはわからないんでもないんだけど、もう少しじっくり話を聞きたいと強く思いました。

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2009年1月 7日 (水)

翔ぶが如く(六)

明治維新後の国家新体制の形成過程が描かれているこの長篇は恐ろしく平坦で、心が騒ぐような事件が
何も起こらない。大久保はひたすら陰湿で野に下った西郷はとにかく何もしない。
6巻を読み終え、ようやく熊本で神風連の乱がおこる。

台湾出兵の事後を片付けた大久保利通は再び内政に目を向ける。
廃藩置県施行後、廃刀令に士族の鬱積は頂点に達する。
島津久光は太政官政府にとってうざい人ではあるが、保守回帰派でしかない。兵を起こしてまで
体制をくつがえす、という思想はない。
長州の前原一誠は警視庁の密偵(スパイ)に謀反の意を明かしてしまう。発覚したことを知った前原は
逆に萎縮し政府に恭順の態度をとる。
熊本の神風連は神道を奉る者たちの狂信的な反乱であったが、戦略がまったくなかったため
軍人を暗殺し鎮台を襲撃したまでで鎮台軍の反撃にあいあっさり制圧される。
ただし全国の不平がたまる元士族たちへは決起のきっかけとなる事件であった。
しかし、まだ西郷は動かない。

6巻を終えまだ西南戦争起こらず。西郷隆盛はその思想をあきらかにしないため、魅力に乏しい。
大久保の暗い性格は英雄にはほど遠い。まさに暗い明治を象徴する小説。司馬先生、これから
面白くなるのでしょうか?

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2008年12月 9日 (火)

ジョン・レノンが死んだ日

ジョンの命日は12月8日で日本でもこの日に追悼イベントが行われたり、ラジオでたくさんジョンの曲が流れたり
する。でも彼が死んだのはニューヨーク時間の8日夜11時半過ぎ。だとするなら日本は9日であり、
日本での命日は12月9日とすべきではないかと思う。実際亡くなった日よりも先行して、ニューヨークよりも
前に追悼するのは変じゃないか?

で、ジョンレノンが死んだのは1980年だから自分が高校2年生の時だった。
冬の期末試験の真っ最中で
その日は2つか3つ試験をこなした後、家に帰り2階の自分の部屋に閉じこもって翌日の試験の予習をしたりレコードを聴いたり寝たりしていた。
 気分転換に下りてきたら妹が「お兄ちゃん、ビートルズの誰かが死んだらしいよ」と教えてくれた。それを最初聞いたとき僕はそれほどあわてなかった。
妹に返した言葉は「ああ、リンゴだろ。多分。」リンゴ・スターと彼の家族には申し訳ないのだが、勝手にリンゴだと思ってしまったのだ。そのころたまたま雑誌で見た彼の顔がひげだらけで薄汚れた感じを受けたのと、彼のビバリーヒルズの家が焼けたというニュースを前に聞いていたのが頭で結びついて、それで死ぬ理由は全然ないのだが、うらぶれたリンゴ・スターの顔が頭に浮かんで勝手にそう思ってしまった。
 それから直に自分にとっての第一報を聞いたのはラジオからだったか、テレビのニュースだったか。よく覚えていない。しかしその衝撃はものすごかった。
(今ならあっという間にネットで流れるのだろうが、その頃はニュース番組が始まるまで待たねばならなかった。)
うそだろう、と思った。ジョンが死んだ、しかも射殺。テレビからはジョンの映像が繰り返し流れ、ニュースはその死を報じている。ジョンにとっては5年ぶりに音楽活動を再開した直後だったので、最新の映像に乏しく、5年前のアルバム「rock’n roll」からのプロモーションフィルムが多く流れた(SLIPPIN’ AND SLIDIN’とか)。それもちょっと違和感があった。rock’n rollは文字通り彼が十代の頃に影響を受けたロックをまとめた、回帰的なアルバムであったから代表的なジョンではない。最新のダブル・ファンタジーのプロモはその時まだ間に合ってなかったのかよくはわからない(セントラルパークを歩くジョンとヨーコが印象的なPVの「WOMAN」は死後数ヶ月してからのシングルカットだからね)。

明日はまた試験があるのにそれから僕は予習どころではなくなった。ジョンが殺されたという事実をどう頭の中で整理していいかわからなかった。自分が大好きな、尊敬しているジョンが殺されたというのに、勉強という自分本位の行動をするのは不謹慎だと感じて、試験の予習をやめた。自分なりの服喪。それでも時間が来るとお腹がすく自分を情けなく思った。
テレビのニュースを追いかけそれが終わるとラジオに聞き入った。
オールナイトニッポンを始め各ラジオが急遽ジョン・レノン追悼特集をくんで繰り返しジョンのソロのレコード、ビートルズ時代の曲を流した。
それはCOME TOGETHER だったが、久しぶりにターンテーブルにのせたせいだろう、針がとんで同じフレーズを繰り返したりして、しまらなかった。
なんと世の中は間抜けなんだろう。
しまらないのにDJとゲストは無理矢理神妙な声を出すものだから。
なかには追悼の意を込めてといってYESTERDAYがリクエストされそれをまんまDJが流してしまったりして
腹がたったのと、ラジオという音楽を重視しているメディアでさえビートルズやジョンのことをあまり知らないことに失望した。

高校生というのは世の中に対して漠然とした不安を持っている時期だ。
妙に厭世的になったり絶望したりしてしまう。自分もそんな若僧のひとりだったのだが、ジョンは僕にとってそんな絶望的な世界の唯一の希望だった。
彼がいれば安心、彼がなにかいってくれればそれを指針にいきていける、そんな気分だった。まさにキリストのような存在だったのだ。
そんなジョンが死んだ。なぜジョンなのだ。なぜビートルズの中で一番好きなジョンなのだ(これは裏返せば他の誰かだったら良かったのに、ということになってしまうが、決してそうではなくなぜジョンが、という気持ちだった)

期末試験はなんとか赤点をとらずに済んだ。
以後、日がたつにつれ数々のテレビ番組で音楽関係者、評論家、さまざまひとたちが登場してジョンのことを語った。なにひとつ胸をうつようなコメントはなかった。ジョンの(オノ・ヨーコの)親族という女性がワイドショーで「ジョンおじさん」と呼んでいたことが新鮮だった。ジョンに日本人の親戚がいるということ。考えてみれば確かにそうだ。

2年後大学に合格して僕は待望の東京生活を始めた。
そこで渋谷のエッグマンの追討イベントに行ったりしたのだが
長くなったのでこの話はまた来年のジョンの命日に。

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