2009年12月15日 (火)

メディアとプロパガンダ ノーム・チョムスキー著

自分の最近の関心事はナショナリズムとグローバリズムであるし、
ニューヨークにも行くし、まずはこのひとの目線を学ばねばあかんなと呼んでみた。面白かったのは序文まで。
主に90年代初頭の湾岸戦争やニカラグア紛争についてのアメリカのメディアによる報道への批判である。こういうのはリアルタイムでないと、ふむふむなるほど、とは読めないものだ。その元となる記事に対して自分がどう感じたのか、チョムスキーに賛同できるのか否かという関心を持って初めてカウンター批評というものは面白いのであって、それがないのに読んでもさっぱり頭に入らんよ。
 本の薄さもあってチョムスキー入門にはいいと思ったのだが失敗。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2009年11月16日 (月)

「日本語が亡びるときー英語の世紀の中で」水村美苗

冒頭はアイオワ大学の作家ワークショップに招かれた話。世界中の(ほぼ非英語圏の)作家との交流を軽いエッセー風に読ませてやさしく導入していく。世界には様々な言語で小説や詩が書かれていることを著者はその交流の中で再認識する。さらに自分の民族の言葉で書いていない作家がいかに多く存在するか。
言語は強力な文学を背景に持つことで存在が確立される。日本文学は<世界の主要な文学>であることを他の国の作家から指摘されて著者はあらためてそれを自覚することになる。たしかに<世界の主要な文学>は言語の種類ほど多くはない。日本文学はその歴史においても源氏物語以来暗黒時代というものがなかったらしい。それほど各時代に文学が途切れることなく連綿と紡がれてきた。たしかに。言われてみればそうかもしれない。日本文学は明治期二葉亭四迷、夏目漱石以後と我々は思いがちだが世界の認識はそうではなかった。その言語が優れているかそうでないかは、それは主要な文学(国民文学)があるかどうか、にかかっている。

 日本は<読み言葉>と<書き言葉>が共存しているが地域によっては<書き言葉>が存在していない国もある。たしかにそうかもしれない。しかも文字でいえば英語圏およびスペイン語、ドイツ語、イタリア語、デンマーク語など西洋諸国はすべてアルファベットで表記される。アジアでも独自の文字を持つのは中国、韓国、日本にタイぐらいか(漢字は輸入だがその使い方はオリジナルだしカタカナ、ひらがながある)。モンゴルにもあるらしい。それにアラビア文字、ロシア文字とか。国によっては国民意識の高まりによって無理矢理<書き言葉>を復活させたりあるいは新たに創りだした国もある(イスラエルとかね)。それにしても民族がすべて独自の国を持つわけではなく、その国においても国語、現地語、地域語、複数の公用語、と様々な言葉を持つ。単一言語しかない日本はなんと恵まれた(?)国であろうか。

で、英語である。世界で普遍語といえば英語である。どんなに立派な思想書や論文を発表してもそれが日本語のままならばそれは単なる一地域のものでしかないが、
それが英語で書かれていれば世界的になる(とはいえ日本語で書かれていても優れたものなら英語に翻訳されると思うが)。英語の他の言語に対する圧倒的な優位性。しかもその優位性に対して英語母語者は無自覚である(そりゃそうだろう、自分がいかに恵まれてるかなんて落ちた境遇になってみないとわからない)。英語以外の言語がその存続を危ぶまれている。しかもインターネットの普及がそれに益々拍車をかける。グローバル化が進んだ現在英語を学んでいれば事足りる状況であるのだから。

この時代になぜ日本語を学ぶのか。著者は現代において優れた日本文学がないということが存続危機の理由のひとつであるという、きわめて文学者的な分析をする。優れた文学がないから誰も日本語に関心をもたない。海外からももたれない(でもさ、確かに100年、200年後に残る本なんて自分が生まれてからこれまでで2,3冊だろうけど、そんなもんじゃないか。それよりも言葉は様々な形になって残るのではないか。ケータイ文学だってもしかしたら新しい文学の形かもしれないではないか)。

日本語を存続させるために英語エリートを作り出すべきという論旨がよくわからなかったし、日本(語)を国際化するために国語教育をもっと充実させるべき、というのもわかったようなわからないような。それが単純に授業時間を増やせばいいことでもないと思うし。最後の2章は語らなくても、と思ったりして(加藤典洋氏もそう書いていた)。言語は文化であるし日本の文化が水準を保っていれば日本語は亡びないのではなかろうか。

ふらんすへ行きたしと思へども
ふらんすはあまりに遠し
せめて新しき背広を着て
きままなる旅にいでてみた

(萩原朔太郎)

この「ふらんす」がさ「仏蘭西」でも「フランス」でもなく「ふらんす」でしかこの詩のニュアンスは伝わらない、だから翻訳不可能であるしそこに日本語の独自性がある、ということはわかる。「ふらんす」だからこそ明治の時代人の浪漫へのあこがれが感じられる。でもさ、敢えていうなら、結局それだけの内容なのではないか。英語にそのニュアンスは訳せない。文字のニュアンスにそもそも萩原朔太郎は頼ろうとしたのか?だからさ、結局翻訳文学(たがいの)を読む意味があるのだろうか、原書は原書で読まざるを得ないのではないか、という自分のいつも疑問に立ち返ってしまう。もちろんヘミングウエイとかさ
フィッツジェラルドなら原書で読もうとも思うけどドストエフスキは無理だ。内容もさることながら今更ロシア語を学ぼうとは思わない。

副題が「英語の世紀の中で」とあったので自分はてっきり英語翻訳によって日本語が変化していることを憂えた本かと最初思いました。とにかく翻訳文は読みにくいし、「〜という印象を引き起こした」のようなそんな日本語の使い方しないだろう直訳すればそうなるだろうけどという表現が跋扈しているので。
でもそうではなくもっと深く真に日本語が亡びることを憂えている内容でした。
面白かったですよ。著者が採り上げていたベネディクト・アンダーソンの「想像の共同体」、それに
夏目漱石、谷崎潤一郎、はあらためて読んでみようと思います。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2009年11月11日 (水)

鮨 なかむら

おいしかった。

かますのあぶったやつ
やわらかく厚みがあってうまい。
蒸しアワビ、やわらかくあたたかくてうまい。
こだい、むしろ大きくてうまい。
たい、赤酢飯とあってこれがうまい。
平目のえんがわ、歯ごたえのある食感、うまい。
くるまえび、積極的に好きではないんだが
ここのはうまい。
中トロ、こはだはいわずもがな。

食通のブログとか読むと
握りがいまいち、とかじぶんの好みに合わない、とか書いている。
これだけうまいものが出されていてなお文句があることが
信じられない。
もちろん批評はあってしかるべきでそれがお店の味を
さらに発展させるのだろうが、
これが文句をつける味だとは到底思えない。
自分のお寿司やリストに入りました。
西麻布に近い六本木のちょいはずれ、という場所もグッド。

主人の控えめなキャラクターも自分好み。
元気良くて自信満々な店主より好きです。
押しつけがましくなくて。
落ち着いて食べれるし。
主人にお追従しなくていいし。
俺は応援するぞ。

基本お任せですが、カウンターの向こうで○○ちょうだいという声が聞こえたから
馴染みの客にはお好みにも対応するようだ。
それでいいと思う。
一見と馴染みに差があって当然だ。

日本酒も純米を中心に種類が豊富だった。
焼酎も日本酒以上にたくさんあったが
鮨に焼酎は合うのだろうか?自分はそもそも焼酎を飲まないので
よくわからない。
生ビール(プレモル)2杯の後、黒龍(福井の酒)に
いって最後は白ワイン。これが鮨に合ったんですね〜。
次は最初からワインにしてみようかと思う。
ワインセラーがちゃんとあったので
お店も自信があるのではないか。

しかしこれで不満なひとがいるのだから
東京とはよくぞ舌の肥えた街なのだ。
美食家は幸せか不幸なのかわからんね。
俺は普通の舌でよかったよ。
ああ難有い〜

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2009年10月 8日 (木)

「イスタンブール」オルハン・パムク著

昔から翻訳ものは苦手だった。日本語のリズムになっていない文章が大半で読むたびにつかえてしまう。学生の頃P.K.ディックの著作がブームになってハヤカワや今はなくなってしまったサンリオSF文庫から続々と翻訳物が出始めたことがあった。一挙に多くの作品を出版したため手が足りなかったのだろう、プロとはいえない人にも翻訳させて粗製濫造であった。拙い訳で申し訳ない、ところどころ間違っているかもしれないから予め謝っておく、なんて翻訳者あとがきに書いてあった日には金返せ、とあきれたものだ。これは極端にひどいケースだが、総じて翻訳ものは読みづらい。そんな中で最近は柴田元幸氏や村上春樹氏などすぐれた翻訳家が登場し最近ようやく読めるようになってきた。

しかし!久しぶりに巡り会いました迷訳本。これはなかなか手強い。
本の題名はオルハン・パムクの「イスタンブール」。
トルコのノーベル賞作家による少年期の家族と故郷の思い出をノスタルジーあふれる文章で書いた作品である(と思う)。小説ともエッセイとも言える。
とにかく読めない。うっちゃるのも悔しくどうしたもんかと悩んだ挙げ句、ここに私が作品の中から特に困難と感じる文章を書き出したいと思う。
このブログを一体何人のひとが目にとめるかしれないが共感してくれれば幸いだ。そんな目的を持てばなんとか読み進むことが出来る気がする。でもこれって法に触れるのか?出典を銘記すれば大丈夫なのか?

「イスタンブール」24ページ
兄に算数の問題を尋ねている叔父を見ているときに、同時に彼の三十年前の写真を見たり、あるいは父が新聞のページをめくりながら、部屋の中にいる大勢の人たちの談笑にも耳を傾けているのをその顔に浮かぶ微笑から推察しながら父を見ているときに、同時に父がわたしと同じ五歳で、女の子のように長い髪をしている写真を見ることは、人生とは、額縁の中に入れられる特別な瞬間を生きるために、わたしたちに与えられた機会なのだという印象を引き起こした。(文章続く)

どうですか、書いてあることわかりますか?書き出したらわかるかなと思った自分があさはかだった。オルハン・パムク自身が迷宮的な長い文章を書く人だとしても、この訳文はひどい。さらに文末の「・・・という印象を引き起こした」という日本語は元来はない。翻訳として現れた日本語です。誰もこんな日本語を使わない。英語でいえば関係代名詞が含まれたIT〜that〜の構文ではないかと思うのだがこんな訳文はうまく和訳できない中高生が苦し紛れに書くようなものだ。
もうひとつ、

「イスタンブール」26ページ
母が時々わたしたちを母方の「お祖母様」の家につれて行ったとき、幽霊でいっぱいのシシリにある家の部屋で、兄と一緒に遊んで時間をつぶしていたとき、母が、父の事業がうまくいっていないことを母親に話すと、母方の祖母も彼女に落ち着くようにと忠告し、母がそこに戻ってくる可能性に対して、ひとりで住んでいる埃だらけ三階建ての家が決して魅力的な場所ではないことをわたしたちは感じさせるのだった。

下線は自分が引きました。それ以外は、訳文通りです。
写し間違いしていません。てにをは、もそのまま。
こうなると難解な迷訳どころではなくあきらかに日本語として間違っています。
「・・・・行ったとき」と「・・・つぶしていたとき」はそれぞれの「時」がある並列ではなく、文脈からすれば、お祖母さんの家につれてってもらった「大過去」における、その部屋で時間をつぶしていたときという「小過去」の話でしょうが、こんな文章書きません。さらに文末は意味不明。恐らく「わたしたち」でなく「わたしたち」だと思う。これはもしかしたら印刷ミスかもしれませんが。
 にしてもひどい文です。訳者は現在トルコの大学に勤務している日本人教師だという。このひとはトルコ人に何を教えているのだろう?ちょっと恐い。さらにオルハン・パムクの他の著書「雪」「父のトランク」などもこの人の手により翻訳されている。
オルハン・パムクが気の毒である。

| | コメント (2) | トラックバック (0)

2009年10月 1日 (木)

「疵〜花形敬とその時代」本田靖春

庶民の戦後史としても面白い本だった。
まだヤクザが裏社会に潜る前の時代の話。
戦後の混乱の中を一般人とヤクザは混ざり合って生きていた。
その差は紙一重でしかなかった。

花形敬は千歳中(旧十二中)時代から瞬く間に番長としての頭角を
あらわし近隣の不良の中で花形の名を知らないものはなかった。
同じ中学の二年後輩である著者本田靖春は花形と直接の面識はない。
しかし戦後の混乱期、昨日まで軍国を賛美していたはすが急に民主主義を唱え始めた教師たちを目の前にして、少年たちは食糧に飢え、生きることに必死であった。価値観が大きく転換し正義と暴力が混在する中で、やくざの世界に身をおいた花形とジャーナリズムに飛び込んだ本田との間に差はないと本田は考える。その分けた差はほんのちょっとの違いだけなのだ。
タイミング、だったのかもしれない。

花形は堅気の道に戻ることなく盛り場を己の腕力を頼りに徘徊しやがて安藤組組長安藤昇の片腕となる。渋谷を縄張りとする安藤組は覚醒剤で商売はしないと決めていたからか、陰惨な雰囲気からは遠い。
もちろん実際には覚醒剤に手を出していた組員もいたし実態は暴力を背景にした非合法集団であることには変わりない。
しかしどこか爽やかさを漂わせる花形の姿は安藤組にいるべくしていた感がある。

花形は無茶苦茶喧嘩が強かった。その強さは東京のヤクザ界で伝説として語り継がれている。力道山でさえ彼との対決は避けたという。拳銃は決して使わず頼るのは己の拳だけであった。しかし花形は生き残るにはあまりに強すぎた。
ヤクザの世界で出世するには臆病であらねばならなかったのだ。
インテリヤクザと呼ばれた安藤組は横井英樹襲撃事件をきっかけに警察の手入れを受け急速に力を失いやがて解散する。己の腕一本で生きようとした(それ以外に他人を利用するなどの術をしらなかった)花形は脇腹を刺されてあっけなく死ぬ。Dscn0107_6

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2009年8月27日 (木)

翔ぶが如く(十)

やっと読了。長い小説だった。
司馬遼太郎の作品の中では現代に近い話である故に新聞連載当時は
関係者の親族の記憶もまだ生々しく、フィクションを交えづらかったのかもしれないが、「・・・・に違いない」「・・・・・かもしれない」など、この小説において不確かな史実についてはあくまで憶測の域を出ない表現に徹している。それは歴史の可能性を提示したかったのか、あまりに現代に近すぎるために断定を避けたのか、それはわからないが、小説にいい効果はもたらしていない。
「・・・・したかもしれない」では歴史小説は面白くない。そこが大久保の暗さと相まって全体的にもやもやとした空気で覆われた小説となっている。しかしその最大の原因はやはり(この小説における)西郷隆盛の魅力のなさにある。
この小説において西郷は苦悩しない。いや苦悩したのであろうがその記録がないために著者はそれを表現しない。西郷の実際の言行記録はあまりに少ない。西南戦争中も陣頭指揮をとることなく、まるで象徴天皇であるかのように人目につかないよう桐野たちによって隠されていたらしい。西郷は落馬によって廃人同様になったという伝承も頷けてしまうし、戦争時には実在しなかったのでないかとさえ思えてしまうのだ。
残念ながら「燃えよ剣」や「竜馬がゆく」のような胸躍る表現や登場人物が存在せず読書にターボがかからない。「坂の上の雲」のような希望も見出すない。これから明治という暗い官僚国家へと日本が進んでいくことを予見させる。

 征韓論はいかに贔屓目に見ても暴論である。その主唱者を主人公として描かなければならない苦しさ。その苦しみを著者は桐野利秋にぶつけている。物語冒頭からこの西南戦争は桐野を始めとした私学校の暴発がそもそもの発端としているが、著者の桐野への評価は敗戦に向かうに従って厳しくなる。桐野は眼前の敵にしか対すべき才能がないという、まるで野良犬でしかないような描写である。

 この長編小説は西郷が首魁となる西南戦争の展開とそれを鎮圧しようとする大久保利通の明治維新政府の成立背景の二つの柱からなる。未熟な政府をそれこそ懸命に成立し維持させようとする大久保の奮闘と苦悩が描かれる。しかし彼が創り出した官僚政府はとことん陰鬱である。そしてそのなんともいえない不透明な暗さは山縣有朋を経て昭和初期の政府へと綿々と受け継がれていくのである。

そうなのだ、これは小説なのかノンフィクションなのか、そのトーン設定が曖昧なまま展開されてしまったように私には思える。そして愚鈍な西郷隆盛に陰気な大久保利通、主人公がこれではね。
司馬先生ごめんなさい。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2009年8月24日 (月)

さん喬・権太楼特選集 楽日

三日目に続いてまた行ってしまった。

権太楼
「猫の災難」
安心して笑かしてもらう。権太楼師匠の噺は笑いが保証されてるからね。

さん喬
「妾馬」
いつのまにか目から汗がでてきた。
大家から借りた紋付き袴姿を母親に見せてこれから行ってくっから、というところで、
ちょっと目に汗がにじみ始める。あれれ?今日の俺はどうかしてる。
八五郎と三太夫のかみ合わないやり取り、優しくみつめる殿様、お鶴に八五郎が最後かけることば
「おごるんじゃない、可愛がってもらえ」あれ、だめだ、汗がこぼれてくる。
ハンカチを取り出し目にあてる。

いいよー、最高だよー。
妾馬、ひどいタイトルだね。落語の世界でしかこんな差別用語はお目にかかれません。
だからいいんです。
時代が違えば八五郎、三太夫、殿様はいい友達になったのではないか、
そんな思いがさん喬師匠から伝わってくる落語でした。

ちなみに席が前から7列目のど真ん中。前に座ってる人が割と姿勢がいい人で、
ほとんど見えなかった。
2009年8月20日 上野 鈴本

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2009年8月20日 (木)

志の輔らくご「牡丹灯籠」

すごいなあ、志の輔の話は。
生できくのは初めて。公演前はそれが「牡丹灯篭」というのもなんかなあ、志の輔初体験はもっと笑える話がいいなあ、と思ってたけど大間違いでした。すばらしい。

冒頭暗闇から舞台が明るくなると下手の縁台に浴衣姿の志の輔が座っています。
「こんにちは」そこから舞台中央に歩いてくる。なんか粋な登場だな。
まず前半、牡丹灯籠創作の背景が志の輔から解説されます。圓朝作であること、怪談話と自分も思っていたが全然違ったこと、そして登場人物紹介とのその相関関係が降りてきたボードを使って物語前段のあらすじとともに説明される。そこまでで約50分。でも志の輔ですから解説も当然面白い。
「ここ、ちゃんと覚えておくように」
そんなキーポイントを踏まえ15分の中入り後、1時間40分休みなく語られました。すごいよ、話にひきこまれて全然飽きないんだもん。
舞台には志の輔たったひとりしかいないんですよ、当たり前だけど。
話自体は因縁と復讐と愛憎と強欲がめぐる大ドラマです。まるで「赤いシリーズ」のよう。笑いもあります。キャラ付けは恐らくかなり志の輔流にアレンジされていると思いますが、それもばっちりはまっています(特にあの医者ね)。
明治初期テレビもラジオもありません。この話を圓朝は20日間かけて語ったそうです。つまり連続ドラマを見てる感じ。客も次が気になって毎日通います。無茶苦茶面白い新聞小説を読まされてる感覚の方が近いか。

無駄なエピソードがない。キャラクターが満遍なくきれいに使いきられ、余分なところがない。チェーホフ曰く「劇中に登場したピストルは発射されなければならない(だったっけ?みたいな)」の言葉どおり登場する小道具はすべて使用され重要なモチーフとなる。洋の東西問わず面白いプロットは普遍なり。チェーホフ(1860−1904)、圓朝(1839−1900)。ほぼ同時代の人なり。現代の感覚からすればあまりに偶然が重なりすぎな感もありますが、だからこそのエンターテインメントであり庶民も魅了されたのでしょう。

アレンジは違えど100年前の日本人と同じように愉しませてくれる志の輔の芸、そして原作者圓朝の普遍性。下北沢にて時空を超えたエンタメを見事に堪能させていただきました。4000円也。大満足。2009年8月19日 下北沢 本多劇場

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2009年8月18日 (火)

ラジオにいらつく

ちょっと前の話。
その日は河口湖方面でゴルフ。中央道を避け、御殿場からのルートにしようと、
横横から町田ICに乗り東名をひたすら下る。
 いつも聞いているラジオ局の周波が届かなくなってきたので仕方なく別の局へチューニングする。聞こえてきたのは、土曜の朝まさにゴルフ場へ向かうゴルファー・ドライバーのためのゴルフをメインにした番組。
話題はその時開かれていた全英オープンが中心で司会の男曰く
「僕はイギリス行ったことないんだけどさ・・・」
オイ、イギリス行ったことない奴がゴルフをテーマにした番組のメインパーソナリティやるなよ!まあでもまだいい、そんな奴もいるだろう、イギリス行ったことないからといってゴルフ番組の司会をしてはいけない、とは言い切れない。当然行ったことがないのでどうしても聞き話が中心になる。
「友達のイギリス人に聞いたのよ、なにがおいしいの、って。そしたらインド料理なんだって!。」相手方の女「え〜、どうして〜、おもしろい〜!」
あのねえ、イギリスでインド料理がおいしいのは常識です。インド人がいっぱい住んでいます(多分そんなことも知らんのだろう)。なぜなら昔インドはイギリスの植民地だったからです。相手の女のリアクションは正確には忘れた。「変なの」とか「なんで〜」とかとにかく無知のリアクション。その後「実はね・・」というような蘊蓄話が男から展開されるのかと思ったが甘かった。
「ね、ね、不思議でしょ、インド料理が(英国では)おいしいだなんて」
「うん、フィッシュアンドチップスとか言うのかと思った」おお、その食べ物は知っているんだ。
「そう、でもその友達が言うにはイギリスではフィッシュアンドチップスなんて誰も食べないって」うそつけー!
嘘だ。そのイギリスの友人は嘘つきかもしくはその男との会話にはつきあいたくなかったか、あるいはフィッシュアンドチップスを憎んでいてこの世から消滅させたいのだ。自分はロンドンで仕事をしたときにイギリス人が昼にフィッシュアンドチップスを食べているのを何度もみたぞ。しかしこれだけでは終わらない。
「あんな高いもん食べないって。10ドル?ぐらいするらしいよ、いやドルじゃないか、ポンド、ちがう今ユーロか?」女がしょうもない助け船を出す。
「両方じゃない?」「そうか、両方か、そうかもね」
んなわけねえだろう、ポンドだよ!通貨は一国につき一つだよ。それとも何か?イギリスは国全体が空港の免税品売り場状態なんですか?イギリス(正式にはグレート・ブリテンおよび北アイルランド連合王国、自分は海外とのやり取りの時はUKと表記するけど)はEUには加盟しているけど通貨の統合は見送ったためユーロは使っていません。こんなのトリビアでもなんでもなくて普通にニュースを見てれば為替の情報ではいってくると思うけど。

 最初は聞き流しながら運転していたのだが、あまりにパーソナリティーというのだろうか進行役2人の会話のアホさ加減に嫌気がさしてラジオを消した。
戸張捷さんのような解説者だったらゴルフの話題にからませてイングランドの文化やリンクスの歴史なんかを語ってくれるんだろうけどね。この二人には望むべくもない。これからゴルフ場に向かう男たちに面倒な情報はいらないってか。ところでリンクスくらいは知ってるんだろうね、この男は。
ちなみにこの脳天気ゴルファーに親切な番組はインターFMではありません。

とある別のラジオでも、北欧に行きたいというリスナーからの電話にDJが「ヘルシンキ?どうやっていくのよ!乗り換えで何時間もかかるでしょ!」なんてフィンランド人やフィンランド航空の人が聞いたら泣いて怒るようなことを言っていた。直行便あるよ、週4日だけど。しかも所要時間9時間半とヨーロッパでは一番短いフライトなのに。そんな広告をうってるのだがPR不足なのか、情報不足なのか。

テレビと違って、ラジオは聞かれてないせいか、そのあたりのパーソナリティのレベルが低い。格段に。総体的に。
別にいいけどね。自分も抗議するでもなくこうしてブログに与太書いてるだけだから。ただしラジオの製作者自身がその程度と思って番組を作っているとしたら非常に悲しいことです。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2009年8月14日 (金)

鈴本夏まつり さん喬・権太楼特選集 三夜目

満員の客席の中、
さん喬・権太楼と銘打った興業に参加する他の噺家というのは
どういう心持ちなのだろうか。やりにくいモノだろうか。
橘家圓太郎の「太閤記」面白かった。知らないのに知ったかぶりするのは落語の原点のひとつ。
佐龍「そこつ長屋」。
演る人によってかなり登場人物の描写や笑いどころに違いが大きくでる噺だな、これは。
橘家文左衛門の
威勢のいい「ちりとてちん」。この人にはしばらくこのスタイルでいってもらいたい。

さん喬「明烏」
内向きなひとをやるとほんとうまい、さん喬師匠は。
これも若旦那の堅物ぶりが演じるひとによってはずいぶん違うのだろう。
とても礼節の行き届いたマジメな若旦那でした。

権太楼
「不動坊」
この噺では湯屋のくだりが好きだ。「うめてやれー」。
今日は権太楼師匠まくらもなくいきなり噺にはいったので客席は最初呆気にとられた。初っぱなに前の話の「明烏」をすこしもじったら客席がわーっと受けたのでその後はいつもの師匠のペースに持って行った。まくらがなかったのは単純に時間が押していたからか?なんか機嫌でも悪かったのか?

立ち見のお客さんもいた。立ち見は二千円だそうだ。それだけだして最後に二人の話を聞くだけでもいいと思ったよ。

落語の後は「さくらい」→「琥珀」。頭もお腹も満足の一夜であった。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

«柳家三三 背伸びの十番