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2009年5月27日 (水)

翔ぶが如く(八)

刺客事件をきっかけにようやく西郷隆盛は起ち上がりここに後に西南戦争として語られる、薩摩士族軍と太政官政府(鎮台)軍との九州における内戦が始まる。
 西郷が重い腰をあげた理由は、自身への刺客問題への憤りなのか、桐野利秋、篠原国幹ら不平士族たちの鬱積する憤懣を抑えることができず半ばあきらめの境地から起ったのか、その真意はわからない。最後まで口を開かない西郷である。
 しかしながら事態収拾のために自身の命を捧げることを覚悟したであろうことは彼の行動の節々に伺える。ただ不思議なのは、明治維新、幕府瓦解という革命に対してみせた情熱と政略に比べてあきらかに今回の西郷は別人のように無為無策なのだ。
 西郷が決起した報せに大久保利通は大いに動揺した。なかなかその報告を信じようとしなかった。大久保は西郷を恐れていた。かつ明治維新を成し遂げた同士として西郷の友情を信じていた様子もうかがえる。あくまで冷淡に対処するのは警視庁長官である川路利良である。彼は上士から侮蔑される郷士出身であったからなのか、まるで私戦のように同郷の薩摩士族への対抗策を冷徹に進める。

 司馬遼太郎の小説の中でも話が長く退屈な小説である。明治胎動期の近代国家成立過程を描くにおいてドラマ性を排除し極力記述に徹している。他の小説にみられるような登場人物のヒーロー性、感情の動き、ドラマツルギーがことごとくない。ふたりの主人公のうち大久保はあくまで暗く、西郷隆盛の行動は果てしなく退屈で愚鈍だ。明確な意志が感じられない。
 司馬遼太郎は近代国家(明治政府)の成立過程を調べているうちにそこにあの昭和初期、日中戦争に突入する直前の日本政府の原点を見てしまったのではないのか。明治政府の成果があの昭和初期の暴走へとつながった。司馬遼太郎がそこにどうしても美しい日本の姿を見いだすことが出来ず、とうとう書けなかった題材である。
 当然この小説の中でも大久保利通への司馬の評価は厳しい。けっして己の名前で命令を出さず天皇の威を借りて国政を進める姿太平洋戦争当時の首脳部を彷彿させる。
 退屈ななかにもこの八巻にはその後の歴史上の有名な人物が何人か登場する。
のちの日本を軍事的にも政治的にも支配する山縣有朋は軍隊補給担当として抜群の実務能力を発揮する。乃木希典は西南の役においても、軍服を奪われ自身の指揮する隊は潰乱するなどその無能ぶりはこの時点であきらかであった。
 薩軍は西郷を戴いて東上すれば道中うねりのように反政府主義者、不平士族が賛同し政府軍を凌駕するであろうと考えた。戦略はそれしか無く史上珍しく幼稚で無邪気な軍隊であった。しかもその戦略を貫徹すればまだ良かったのだが薩軍には戦略を統率するリーダーはいなかった。野犬の如く局面での勝敗に夢中になってしまう。執拗なまでに熊本城攻略にこだわる。
 政府鎮台軍は元々百姓出身の軍隊であり、日本最強と謳われた薩軍とは個々の兵士の能力では差があった。しかし政府からの兵器、兵力の補給により徐々に勢力を盛り返し始める。
 こんなはずではなかった、桐野の心には焦りが芽生え始めた・・・・

つまらないと思い始めながら読み始めたこの歴史小説もとうとう八巻目まできた。残すはあと二巻。これはもう読み遂げるしかないでしょう。

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